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お墓の撤去工事@四十九院:西大寺奥之院墓地
2017/10/14



お彼岸も含め、この秋は建墓もそれなりにさせていただきましたが、他方でやはりお墓の撤去という依頼も一定の頻度でいただきます。
今回はそんなお墓の撤去工事のご紹介ですが、お墓としては非常に興味深い事例ですので、まずは現場をご案内したいと思います。
墓所があるのは西大寺奥之院墓地というところです。
この西大寺奥之院というのは、鎌倉時代を代表するおおきな石造五輪塔で非常に有名です。
墓地自体はもともと地域の共同墓地だったようですが、現在は西大寺さんが管理しておられます。
さて現場です。
奥之院墓地を一番奥の方まで進み、伏見中学校との境を背にした墓所は写真一枚目のようになっています。
五輪塔を中心に、入口には大きな墓前灯籠が一対並び、五輪塔の左右には明治・江戸期にまで遡るかと思われる古墓、さらに1尺1寸角という大きな家墓も立っているという、とても立派な墓所です。
撤去してしまうのが惜しいくらいですね。
ところで一見して目につくのが、巻石の内側に墓域を取り囲むように並んだ、小さな石塔群ですね。
石で柵を作っているといった感があります。
これ、いくつ並んでいるかおわかりになるでしょうか。
ぴんと来る方もおられるかもしれませんね。
この小石塔、全部で49本立っています。
これを一般に「四十九院」といいます。
どういう意味があるかと申しますと、そもそもは弥勒信仰に由来するようです。
弥勒菩薩が未来の仏となるべく修行している世界が兜率天(とそつてん)ですが、その兜率天の中には合計49の院があるのだそうです。
院というのは塀で囲まれた建物のことですから、要するにお堂が49あると思えばいいのでしょう。
そのような弥勒がいる世界への憧れが転じて、墓所にも四十九院をしつらえるような風習が一部でできてきたのだと思われます。
写真二枚目と三枚目、小さくて見づらいかもしれませんが、五輪塔を模して作られた小石塔には、ひとつひとつ異なった院名が彫刻されています。
そう言えば奈良市東部の都祁の方には今でも、埋め墓と詣り墓を分ける両墓制が続けられている地域があるのですが、そちらの埋め墓には墓上装置として、木製の四十九院が作られていました。
弥勒信仰というのは非常に面白いですね。
56億7千万年後に新たな仏としてこの世に生れてくるとされるのが弥勒で、そのため現在の弥勒は菩薩として修行中であるとされるわけですが、基本的に輪廻からの解脱を目指す仏教にあって、このような未来志向の信仰形態というのは、ある種仏教の本来性と相容れないところがあったりするのでしょうか?
いずれにせよ56億7千万年というのは遠過ぎるので、弥勒のいる兜率天に往生して、そこで弥勒とともに長い時間を過ごしたいという上生信仰、それから弥勒降臨の際に是非この世に生まれ変わってその場に居合わせたいという下生信仰と、弥勒信仰にも大きく分けて二つの形があったようです。
「ミロク世」というのが理想の世界として提示され、現在の世の中を否定する世直し思想、革命思想にもつながる熱い信仰ですね。
こちらのお墓に四十九院を作られた方が、どのような信仰の持ち主であったかはわかりませんが、死者祭祀と弥勒信仰との関わりというのも深いものがありそうです。
そんな弥勒信仰も、平安末期になって阿弥陀信仰を軸とする新たな浄土教によって、少しずつ衰微していくわけですが、今なお弥勒のイメージには魅力的なものがあるんじゃないかと思いますね。
ついついお墓そのものの紹介が長くなってしまいました。
墓所の撤去工事については、記事をあらためてご報告したいと思います。
