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職人さんのインド旅行記A
2019/01/30


前回からご紹介している、職人さんのインド旅行記の続きです。
以前弊社に勤めていた職人さんが、昨年秋にインドを旅してこられました。
その間何度かラインでやり取りをしておりまして、せっかく仏教および石塔の発祥の地についての体験を聞けたのだから、こちらでもご紹介させていただこうという趣旨であります。
前回の記事では、ガンジーゆかりの地、「塩の行進」の出発点となったことでも有名なアーメダバード(アフマダーバード)を訪れた職人さん、今度は仏教の石窟寺院で有名なアジャンタを目指します、というところまでご紹介しました。
アジャンタ自体はアーメダバードからですと、ほぼ南東方向になりますね。
まあとにかくインドは交通事情が悪く、寝台付きの長距離バスも揺れに揺れた挙句四時間遅れ、乗り心地はトラックの荷物になった気分だったそうです。
それがどうにか到着したところから、さらにアジャンタ行きのバスに乗り換えて二時間。
こちらでは石窟行きのシャトルバス乗り場にほど近いゲストハウスに泊まったそうです。
写真一枚目がそれです。
遠目にはなかなかきれいに見えますね。
これで日本円にして\3,000くらいだそうですが、現地物価からすればかなり高い印象になると言っていました。
日本と物価水準が大きく異なる国に行くとなると、どのような目安で金銭感覚を保つかというのが、結構大きい要素になるのかと思います。
アジャンタの石窟には朝一番のバスで向かったそうです。
朝9時から昼頃までゆっくり見学できたので、朝一のバスというのは非常に当たりだったと聞きました。
アジャンタ全景は写真二枚目のような感じ。
どれくらいの距離感なのか正確にわかりませんが、相当な規模であることは窺えます。
以下、ウィキペディアの「アジャンター石窟群」の記事からの受け売りになりますが、大小30の石窟から成るアジャンタ遺跡は、おおよそ前期と後期の二つに分けられるそうです。
前期は紀元前1〜2世紀のサータヴァーハナ朝時代に築かれ、後期はほぼ5〜6世紀のもので、美術的価値は後期のものが非常に高いということです。
19世紀初頭、イギリス人の士官によって「再発見」されたのが、現在的な評価のきっかけとなりました。
当時はすっかり忘れ去られ、コウモリの住処になっていたそうですが、このあたり、インドで仏教が廃れてしまった事情だとか、当時のインドがイギリスの植民地支配下にあったこととか、いろんなことを考えさせられますね。
今ではもちろん、エローラ石窟群とともにユネスコの世界遺産となっていまして、それも1983年というかなり早い時期に指定されています。
その関係かどうかわかりませんが、アジャンタには日本からJICAも入っているようで、当地では日本についていいイメージが持たれていると聞きました。
文化交流を通じて相互理解を促進するというのは、国際関係の良い例と思えますね。
余談ですが、南アジア・東南アジアに対する近代の植民地支配という関係で、仏教研究については西欧が非常に高い水準にあるそうです。
要は重要な史料に直接アクセスでき、挙句持ち帰るようなこともあったからなのでしょう。
仏教学を専攻する知り合いに聞いたことがありますが、日本の仏教学者でも、英語・フランス語・ドイツ語のいずれかは身につけ、ヨーロッパに留学するのが半ば必須とされているということです。
閑話休題、職人さんはアジャンタに続き、今度はエローラを目指します。
そちらについてはまた稿を改めてご紹介します。
